目よ、欲に眩め

きょうも自意識とタイマン

日記 16

月曜のこと。

 

朝からPR発表会の立会いへ。

そのあとプレゼンまで時間あったので、家に帰って仕事をして、また出かけた。

 

この1人で家で仕事していた時間に、なんだかいろんなことがしんどくなって、ぎゃーって部屋で叫んだ。赤ちゃんみたいにこれみよがしに。まあ誰も聞いてないんですけども。

(うちは比較的防音ちゃんとしてるのでお隣さんには聞こえてないはず…)

わーわー叫んで、そのうち叫び方へたで喉痛くなった。しかし手元ではパワーポイントの資料を直しており、音声機能だけ故障した機械みたいになっていた。

 

この時なにがしんどかったのかなぁということについて。

最近嫌いな人が増えてしまったのが多分原因だ。やだなこの人、と思うハードルが下がっている。もともと閉ざしやすい心のドアがスパーーーン!閉まる。その速度がメチャ早い。

でも仕事で色んな人と会うのは変わらないし、これからもっと増えるだろうし、直したいな〜とかそんなことを考えるうちに、雁字搦めになってわーわーゆうてしまったのではと思う。と今考察する。

 

あ〜〜人を嫌いになるってマイナスしかないよなぁ〜〜だって嫌いな人が多いってストレスの種が多いってことじゃん〜〜好きになるとはいかないまでもどうでもいいって思えたら楽なのにな〜〜ムカついてしまうんだよな〜なんでかな〜〜絶対わざとじゃないし悪い人じゃないんだよ〜〜でも嫌いなんだよな〜〜もうなにこれ、年取ってむしろ気難しくなってきてんのか〜〜???てか人を嫌いになるほどの人間でもないくせにさ〜〜あ〜〜も〜〜〜〜やだ〜〜!!!!!

という感じで。

 

そんな訳で月曜はずっと「ムナシイ」「ツライ」と繰り返す変な生き物になっていたわけだが、翌日。

その辺について自分で思い直してみて、いや逆に自分は進化してるのでは?と考えることですこしスッキリした。

 

嫌なことを言われた時に「今嫌なこと言われた!」と気づく速度が上がった、と思うようにしようと。

 

「澱が溜まる」という表現がとても近い。無意識的に傷ついたり、腹を立てたりしてる瞬間はおそらくいっぱいあるのだ。

わたしがそれに気づいていないだけで。

その言葉を発した本人すら気づいていないようなささやかな悪意や、驕り。無意識に人を縛る、呪詛のようなものにたまに出くわす。たぶんそれをいちいちキャッチしてしまうタイプなのだ。そして心にゆっくりゆっくり、澱が溜まっていく。昨日それが人知れず爆発を起こした。

 

そういう小さな傷への防衛本能が上がっている、ということを今は喜ぼうと思う。これは進化だ!いいぞいいぞ自分!

正しく自己肯定感を保ちつづけたいものです。